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[特集]水都・江戸の風景 ブログトップ

書籍紹介『外濠 -江戸東京の水回廊- 』法政大学エコ地域デザイン研究所編、鹿島出版会 [[特集]水都・江戸の風景]

『外濠 -江戸東京の水回廊- 』法政大学エコ地域デザイン研究所編、鹿島出版会、2012年4月刊行
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陣内秀信氏が所長を務める法政大学エコ地域デザイン研究所が、2012年4月に東京の外濠に関する本を刊行しました。江戸の防御システムとして形成された外濠がもつ、東京の“風景の骨格”として価値を問うフィールドワークの記録です。
http://jinnailab.ws.hosei.ac.jp/wp/?p=122
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畑中が所属する「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の会長・神谷博氏(建築家)は、法政大学のデザイン工学部の兼任講師であり、法政大学エコ地域デザイン研究所の研究員でもある。
水みち研究会の代表、東京都の側流域連絡会の座長などを歴任、東京の水系に詳しい。
この神谷会長も執筆している『外濠 -江戸東京の水回廊- 』がこの4月10日に発売となり、出来立てホヤホヤのご本について、名水の会でレクチャ-していただいた。
一昨日(5/11)のレクチャ-は、神谷さんが執筆した箇所中心だったが、これが実に興味深い。

江戸城の場所というのは、東京の多摩川水系、荒川水系、古利根川水系の合流点にあたり、江戸城のまわりをめぐる内濠・外濠がすべての水系を繋いだことにより江戸城が水系の中心となり、それは同時に軍事・水運の中心であることを意味する。
外濠開削後、玉川上水が開削された。江戸の飲み水が供給されただけではなく、武蔵野台地の分水嶺上に開削された玉川上水から、北へ南へと多数の分水路が作られたことにより、武蔵野台地の田畑の開発が爆発的に進み、江戸への食料供給能力が拡大。
こうしたことはよく知られているが、玉川上水の開削によって、外濠のもっとも標高が高く水源の得にくい四谷付近の台地上に玉川上水が到達し、外濠を満たす水の供給源となったことによる軍事的価値にも着目している。

さっそく本を購入し、今、読みはじめたところです。
大変興味深い本なので、とりいそぎご紹介です。
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4.毎日新聞の記事:歌川国芳:江戸・天保年間の浮世絵に「スカイツリー」?◇幕末の浮世絵師・没後150年展で展示 [[特集]水都・江戸の風景]

夜8時過ぎに帰宅して自分のブログを見ると、アクセス数が見たことないような数字になっていて目が点。
歌川国芳の浮世絵にスカイツリ-?という記事が毎日新聞にのったのをきっかけに、またもやアクセスが増えた模様。

7日から「幕末浮世絵界の奇才 歌川国芳 没後150年展」(前期)を開催することになっている川崎市川崎区の砂子の里資料館の館長さんは、火の見櫓(やぐら)の右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかった、という立場をとっておられるようです。
「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」と斎藤館長。
新聞記事は、存在しない巨大な塔をも描く独創があったのか、としています。

たしかに、国芳の画風は独創的でおどろおどろしいようなものもあったり、現実離れしたものが多いけれど、こと風景画の中に無いものを書くかなあ?
風景浮世絵は、記録写真や報道写真のような、いわばムカシのテレビみたいなもの。
そして、浮世絵は売れてなんぼ。
実際にまったく存在しないモノを書き込めば、江戸っこは「嘘書きやがって、てやんでえ」となるはず。
誇張はあっても、無いものは書かない。そんな気がします。

たしかに、「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」というのは、まさにそのとおりでしょう。
でも、火の見櫓のほうだって、細長すぎる。
深川に実在したという火の見櫓の高さはおよそ9m。本当はずんぐりした形ですが、国芳の絵の火の見櫓は細長すぎます。こんな火の見櫓もあり得ません。

当時の井戸掘り工法による櫓の高さは20mくらいだったそうですから、火の見櫓が9m、井戸掘り櫓が20m。
国芳の絵も、謎の塔の高さは火の見櫓の2倍ちょっとに描かれていますから、二つの櫓が並んでたっているとすれば、高さの比率は合っています。
絵の中の二つの櫓の高さを、どちらも半分くらいにすると、実景に近いのではないかと思います。

とにかく、この絵の現物を何とかしてみて見たいものです。

川崎・砂子の里資料館:
http://www.saito-fumio.gr.jp/

歌川国芳 没後150年展:
http://kuniyoshi.exhn.jp/

下に毎日新聞のウェブ版記事を転載しておきます。(新聞社の記事は、時間がたつと消えることが多いので)

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毎日新聞のウェブ版記事
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110304mog00m040015000c.html

歌川国芳:江戸・天保年間の浮世絵に「スカイツリー」?

歌川国芳の「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという 

◇幕末の浮世絵師・没後150年展で展示
 江戸の浮世絵にスカイツリー?--。川崎市川崎区の砂子の里資料館が7日から開く「幕末浮世絵界の奇才 歌川国芳 没後150年展」(前期)に展示される作品が、話題になっている。

 作品は「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれ「立ち上る煙と空の雲が綾(あや)なし、独特の雰囲気を醸している」(同館)。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという。

 歌川国芳(1798~1861年)は葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍し、奇想、破天荒な作風の絵師として知られる。江の島を描いた作などはおどろおどろしくもあり、北斎などの写実性とは趣を異にする。武者絵や美人画、化け物なども得意とした国芳だけに同館の斎藤文夫館長は「当時は江戸城より高い建物は建てられない決まりがあった。江戸の街を見下ろしており、東京スカイツリーを予想したような恐るべき独創性に驚く」と話している。

 建物は井戸掘りの櫓と見られるが「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」と斎藤館長。また、展示される「東都御厩川岸之図」にある貸し傘に書かれた「千八百六十一番」は、国芳の西暦没年と同じ数字で「国芳だけに偶然とは思えぬ」とも。

 自身が他界する年を予想するだけに、存在しない巨大な塔をも描く独創があったのか。斎藤館長は「絵を見てそれぞれに想像を膨らませてほしい」と言う。同展は26日まで。4月4~23日には同展後期があり、併せて100点を超える国芳作品を鑑賞できる。問い合わせは同館(044・222・0310)。【塩谷英明】
2011年3月4日
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3.中間まとめ~歌川国芳「東都三ツ股の図」に描かれたスカイツリーみたいな謎の尖塔を追う [[特集]水都・江戸の風景]

2月22日に東京新聞に掲載された記事や、その日のテレビ放送をきっかけに、歌川国芳「東都三ツ股の図」に描かれた東京スカイツリーみたいな謎の尖塔に興味を持ち、このブログでも「水都・江戸の風景」という特集を組んで、これまで2本の記事をアップしました。

1.江戸の景観~歌川国芳の浮世絵に「東京スカイツリー」?
2.井戸堀りのための櫓(やぐら)か?~歌川国芳の浮世絵に描かれた東京スカイツリーみたいな超高層櫓

[[特集]水都・江戸の風景]
http://masugata.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301556262-1
こちらから、全部の記事をお読みいただけます。

反響は大きく、このブログでかつてないほどたくさんのアクセスをいただきました。
「きたろう」さん、「一風斎ねこよし」さんからも、コメント欄に貴重な情報をいただきました。

2月の月末にはアクセスもやや下火となってきましたが、きょう3月2日、再びアクセスが激増しています。
昨夜(3/1)、深夜だったか、テレビでほんの短い間でしたがこの話題が取り上げられ、謎の尖塔について「井戸堀りの櫓」ではないかという専門家の話も出てきました。
私もこの番組をまったく偶然に見ましたが、きょうは再び、アクセスが増えています。

続きを書くために、ただ今、いろいろ調べておりますが、記事としてまとめるための時間がなかなかとれませんので、中間のまとめと、これからまとめる記事のテーマを書いておきます。

1.はじめは、国芳の空想の産物かとも思いましたが、江戸時代において「記録写真」のような意味合いも持つ風景浮世絵ではそれも考えにくく、実際に背の高いなんらかの建造物がたっていたとしたら、「井戸掘りの櫓」以外には考えられません。
なぜ、井戸掘りの櫓なのか、江戸の町の水事情も含めて、井戸掘り櫓説の裏づけを調べてまとめたいと思います。

2.この謎の尖塔はどこに建っていたのか、ということについて考察したいと思います。
国芳「東都三ツ股の図」の視点場直近から見えるスカイツリーは、絵とほぼ同じ方向に、同じようなシルエットで見えることが確認されています。
地図で方向を詳しく見ると、まったくドンピシャリというほどではありませんが、だいたい同じ方向です。しかし、スカイツリーがあるあたりに「謎の尖塔」が建っていたとすると、謎の尖塔がスカイツリーと同じに見えるためには、高さはまさに600m以上なければならず、これはありえませんね。
隅田川東岸に近い場所に建っていたものだということを前提に、場所の特定に挑戦してみたいと思います。
その手がかりになるものが、尖塔の左隣にたっている火の見櫓と、さらにその左側の橋です。
東京新聞の記事では、この左側の橋を小名木川にかかる「万年橋」と思われる、としています。
しかし、当時の万年橋は北斎や広重の浮世絵にも描かれており、国芳「東都三ツ股の図」に描かれている左側の橋とは、どうも形が違うのです。
そうなるとこの橋は、万年橋のひとつ南の橋、仙台堀川にかかる「上ノ橋」である可能性も考えられます。
さらに、その南側の「中ノ橋」や「下ノ橋」である可能性も皆無ではありません。
「下ノ橋」がかかっていた油堀川も、水運の川だったそうです。
「万年橋」は今もありますが、「上ノ橋」「中ノ橋」「下ノ橋」は今はもうなくなってしまった橋です。
「上ノ橋」「中ノ橋」「下ノ橋」がかかっていた佐賀町界隈の江戸時代の町並みを調べていくと、何かわかるかもしれません。
市販されている江戸古地図には、詳しい町並みまでは描かれていませんが、深川にある「深川江戸資料館」あたりに行ってみると、何か手がかりが見つかるかもしれません。

※赤字の箇所、訂正しました。(2011.3.3)

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2.井戸堀りのための櫓(やぐら)か?~歌川国芳の浮世絵に描かれた東京スカイツリーみたいな超高層櫓 [[特集]水都・江戸の風景]

昨日遅く、「江戸の景観~歌川国芳の浮世絵に東京スカイツリー?」をアップしたところ、きたろうさんとおっしゃる方から、コメント欄に貴重な情報が寄せられました。

きたろうさんは、昨日(2月22日)朝、謎の塔を取り上げたテレビ番組を見て刺激を受けられ、東京新聞で情報を確認した後、現地へ行って写真を撮って来られたそうです。

きたろう散歩番外編”歌川国芳の浮世絵VS東京スカイツリー”:
http://hiroshige-kitarou.blog.so-net.ne.jp/2011-02-23

さっそく、きたろうさんのブログを拝見しました。

きたろうさんは、すぐさま浮世絵の視点場直近の場所から撮影され、その写真を公開しておられます。
私は昨日、東京新聞の現物を入手できませんでしたので、本文の中に何が書かれているのかわからないまま、とりあえず、地図で方向を確認しました。
国芳の絵は、ずいぶんと広角アングルで、ちょうどパノラマ写真のような視界を一枚の紙の中に収めたのだなあと思いました。
きたろうさんのパノラマ写真でそれが実感できました。

■「東都 三ツ股の図」の縦横比率
国芳の絵の横方向に収まっている風景を写真に収めるためには、横に長~~いパノラマ写真にしなければなりませんが、そのアングルを国芳は一枚の紙の上に収めています。

って、絵の現物がないとわかりませんよね。禁じ手ですが、画像をお借りしてきました。(ゴメンナサイ)
歌川国芳「東都 三ツ股の図」.jpg

近景の、舟底を焼いている様子には、縦横比率の狂いは感じられませんが、遠景はというと、横に長い風景を、左右からぐっと押しつぶすように縮めて収めこんでいるのです。
歌川国芳という人、西洋の遠近法を取り入れた人だそうですが、写実的な風景画のようでいて、どっこい、ちゃんと”だまし絵”になっているのが面白いですね。

■井戸堀りのための櫓(やぐら)説
さて、東京スカイツリーみたいな超高層櫓の正体についてですが。
東京新聞の記事紹介のテレビ番組では、井戸堀りの為の櫓という説もあると紹介されていたそうです。
しかし、この辺りの地下水は塩分を含んでいるので、井戸掘りのための櫓では無いとする説もあるそうです。
そして、きたろうさんは、井戸掘りのための櫓説を支持されているとのことです。
浅い井戸では、塩分が混じるので深い井戸を掘ろうとするが故に、このような高い櫓が必要だったのだと考えていらっしゃるそうです。

井戸掘りのための櫓説、大変興味深いです。
東京の地下水のこととなれば、このブログの守備範囲ですので、調査に乗り出さないわけにはまいりません。

■江戸の地下水と井戸堀り技術
あいにく井戸掘り技術のことは詳しくないので、これからちょっと調べてみなければなりませんが、東京の地下水事情についてちょっとお話をいたしますと、東京湾とその周辺の地下深くには、関東平野の周囲の山から地下にもぐった水が地下の斜面を流れてきて、ここに溜まる場所。つまり、巨大な水盆になっているそうです。
浅い井戸では、この深い地下水には届きません。
しかし、地下深く閉じ込められている地下水には、圧力がかかっているので(被圧地下水)、そこを掘り抜けば、水は地上へと噴き出す(自噴)することがあるそうです。

江戸時代の末期、その深層の被圧地下水を掘りぬくほどの井戸掘り技術が果たしてあったのかどうか。
明治時代になって普及したという「上総堀り(かずさぼり)」という井戸堀り技術は、江戸時代の終わりごろ、上総地方では既に発明されていたとも聞き、上総堀りでは深さ100メートルまでも掘ることができると聞きますが、この謎の櫓は上総堀りの櫓とは形が違います。
上総堀りが普及する前に上方から伝わったという「大坂堀り」(大阪ではなく大坂)の櫓に似ているようです。大坂堀りが江戸に普及したことにより、それまで超高価だった井戸掘り費用が格段に安くなったそうです。
しかし、大坂堀りは高い櫓を組んで長い鉄棒を土の中に落とし込んで突き堀りし、その鉄棒を繋いでさらに長くすることによって深く掘るという技法だったため、深く掘れば掘るほど鉄棒の重さが増し、それを人力で引き上げられなくなる。
そのため、あまり深い井戸は掘れなかったそうです。

ご参考までに、下の動画の中に、上総堀り以前の伝統的井戸堀り工法が出てきます。

上総堀り~伝統的井戸掘り工法 1/4


国芳さんの絵の櫓の形はどうも大坂堀りの櫓に似ているようですが、見れば見るほど不思議な絵。
二つの櫓の左側に描かれている橋は、隅田川に流れ込む小名木川にかかる「万年橋」 と考えられるそうですが、大坂堀りの櫓に似ている塔の高さは、「万年橋」の長さの軽く2倍半はありそう。
そして、その隣の火の見櫓にしても、フォルムが細長すぎやしませんか。どっちの櫓も、力学的に立っていられそうもない比率です。

■「三ツ股図」水平方向の縮小を元に戻してみる
そこでちょっと実験です。
国芳さんは、本当は横に長~~いアングルを、左右から押しつぶすように縮小して紙の上に収めているようなので、その縮小を元に戻してやるとどうなるか。

↓まず、こちらが国芳さんのオリジナル。
歌川国芳「東都 三ツ股の図」.jpg

↓水平方向の長さだけを2倍にしてみたのが下の画像です。実際の遠景の広がりは、たぶん、こんな感じでしょう。(貴重な画像を加工するなど、これまた罰当たりですが、どうぞご勘弁を。)
歌川国芳「東都 三ツ股の図」水平方向×2.jpg

水平方向2倍にしてやると、火の見櫓は立っていられそうなカタチになりました。
そして、大坂堀りの櫓に似ている塔のほうも、万年橋の長さとほぼ同じになりました。

でもやっぱり変です。
塔の手前の隅田川の川岸に並んでいる蔵の高さは、低く見積もっても4~5メートルはあります。それに対して、大坂堀りの櫓に似ている塔は、蔵の高さの8倍以上。隅田川の川岸近くに塔が建っているとしても、高さは40メートルにもなるのです。そして、塔の直径は3~4メートル以下。
やっぱりありえない。
どう考えても、高さにおいて大幅な誇張があるとしか思えません。

カタチからいえば、大坂堀りの櫓のようです。
国芳さんが描いたものは、巨大な大坂堀りの櫓だった。

でも、それが本当にこの方向に建っていたのかというと、それはやっぱり謎なのです。

長くなりましたね。続きはまた今度。


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1.江戸の景観~歌川国芳の浮世絵に「東京スカイツリー」? [[特集]水都・江戸の風景]

昼間、何気なくテレビを見ていたら、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳が隅田川下流を描いた風景画に、東京スカイツリーそっくりな超高層の塔が描かれていると。
歌川国芳が描いた場所(視点場)が隅田川下流の何とか言う中洲(日本橋中洲か?)と特定し、そこから絵と同じアングルで写真を撮ると、なんと、絵の中の謎の塔と同じ場所に同じような大きさで、現在建設中のスカイツリーが写るというんです。

この話題、今朝の東京新聞に出ていたとのこと。
ウェブで調べてみると、たしかに東京新聞の記事になっています。
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東京新聞(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011022202000038.html
江戸の浮世絵に「東京スカイツリー」の謎を追う 2011年2月22日

 江戸時代の浮世絵師が「東京スカイツリー」を予知していた…かどうかは分からないが、驚くことに、来春開業の電波塔にそっくりの“謎の塔”が、隅田川を描いた風景画に残されていた。作者は、大胆な構図や奇抜な発想で人気の浮世絵師歌川国芳(一七九七~一八六一年)。百八十年前の空の下にそそり立つ尖塔(せんとう)のミステリーを追った。 (川崎支局・酒井博章、中山洋子)
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記事の続きは有料とのことで、紙のほうの東京新聞も入手できなかったので、ミステリーの中身は不詳ですが、なんとも不思議なことがあるものです。

歌川国芳の問題の絵は『東都三ツ股の図』というタイトルだそうですが、画像がこちらのサイトにありました。
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東京スカイツリー ウォッチング: 
http://steelvoice.blog43.fc2.com/blog-entry-228.html

絆に感謝!LOHASをモットーに生きていこう:
http://papachanpooh.blog.so-net.ne.jp/2011-02-22-2?niced=1&time=1298378375
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さらに調べてみますと、下のサイトには、復刻版画「東都三ツ股の図」 が載っていて、アングルの説明もあります。
「右手川下に永代橋と、その向こうに佃島、正面左手には隅田川に流れ込む小名木川にかかる万年橋」
http://homepage2.nifty.com/ICHIYUSAI/sumidagawa/kawa/kawa.htm

おや、さらに地理を詳しく紹介しているサイトがありました。これはすごい。
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/mitsumata.html

これらを手がかりに、google地図で調べてみると、たしかにドンピシャリの方向に東京スカイツリーがあります。

問題の電波塔みたいな骨組み構造の塔の左側に描かれているのは火の見櫓だそう。
江戸時代は、火の見櫓よりも高いものは作ってはいけなかったらしいので、火の見櫓の軽く倍の高さの塔など、実際にはありえないし、火の見櫓よりもっと手前にあるとしても、河岸の二階家とのバランスからいって、やっぱりあり得ない高さです。
もっとも、火の見櫓も随分高さを誇張して書いてあるようですが。

いずれにしても、こんな鉄塔みたいな建物はあり得ない。
国芳のいたずら書きなんでしょうかね。

舟底を焼いているのは、舟の腐り止めらしいです。
もうもうと立ち上る煙と雲のグラデーション。まさに煙に巻かれたような・・・。

画面右の佃島のあたりにニョキニョキ立っているものも何でしょう。
画面手前の舟を焼く現実に対して、雲の下の遠景が異空間のように、空気感が分けられている感じもします。
国芳さん、その異空間の中に未来予想図を描いちゃったんでしょうかね。

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