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4.毎日新聞の記事:歌川国芳:江戸・天保年間の浮世絵に「スカイツリー」?◇幕末の浮世絵師・没後150年展で展示 [[特集]水都・江戸の風景]

夜8時過ぎに帰宅して自分のブログを見ると、アクセス数が見たことないような数字になっていて目が点。
歌川国芳の浮世絵にスカイツリ-?という記事が毎日新聞にのったのをきっかけに、またもやアクセスが増えた模様。

7日から「幕末浮世絵界の奇才 歌川国芳 没後150年展」(前期)を開催することになっている川崎市川崎区の砂子の里資料館の館長さんは、火の見櫓(やぐら)の右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかった、という立場をとっておられるようです。
「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」と斎藤館長。
新聞記事は、存在しない巨大な塔をも描く独創があったのか、としています。

たしかに、国芳の画風は独創的でおどろおどろしいようなものもあったり、現実離れしたものが多いけれど、こと風景画の中に無いものを書くかなあ?
風景浮世絵は、記録写真や報道写真のような、いわばムカシのテレビみたいなもの。
そして、浮世絵は売れてなんぼ。
実際にまったく存在しないモノを書き込めば、江戸っこは「嘘書きやがって、てやんでえ」となるはず。
誇張はあっても、無いものは書かない。そんな気がします。

たしかに、「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」というのは、まさにそのとおりでしょう。
でも、火の見櫓のほうだって、細長すぎる。
深川に実在したという火の見櫓の高さはおよそ9m。本当はずんぐりした形ですが、国芳の絵の火の見櫓は細長すぎます。こんな火の見櫓もあり得ません。

当時の井戸掘り工法による櫓の高さは20mくらいだったそうですから、火の見櫓が9m、井戸掘り櫓が20m。
国芳の絵も、謎の塔の高さは火の見櫓の2倍ちょっとに描かれていますから、二つの櫓が並んでたっているとすれば、高さの比率は合っています。
絵の中の二つの櫓の高さを、どちらも半分くらいにすると、実景に近いのではないかと思います。

とにかく、この絵の現物を何とかしてみて見たいものです。

川崎・砂子の里資料館:
http://www.saito-fumio.gr.jp/

歌川国芳 没後150年展:
http://kuniyoshi.exhn.jp/

下に毎日新聞のウェブ版記事を転載しておきます。(新聞社の記事は、時間がたつと消えることが多いので)

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毎日新聞のウェブ版記事
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110304mog00m040015000c.html

歌川国芳:江戸・天保年間の浮世絵に「スカイツリー」?

歌川国芳の「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという 

◇幕末の浮世絵師・没後150年展で展示
 江戸の浮世絵にスカイツリー?--。川崎市川崎区の砂子の里資料館が7日から開く「幕末浮世絵界の奇才 歌川国芳 没後150年展」(前期)に展示される作品が、話題になっている。

 作品は「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれ「立ち上る煙と空の雲が綾(あや)なし、独特の雰囲気を醸している」(同館)。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという。

 歌川国芳(1798~1861年)は葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍し、奇想、破天荒な作風の絵師として知られる。江の島を描いた作などはおどろおどろしくもあり、北斎などの写実性とは趣を異にする。武者絵や美人画、化け物なども得意とした国芳だけに同館の斎藤文夫館長は「当時は江戸城より高い建物は建てられない決まりがあった。江戸の街を見下ろしており、東京スカイツリーを予想したような恐るべき独創性に驚く」と話している。

 建物は井戸掘りの櫓と見られるが「深川界隈(かいわい)であんな大きな塔を建て井戸を掘ることは考えられない」と斎藤館長。また、展示される「東都御厩川岸之図」にある貸し傘に書かれた「千八百六十一番」は、国芳の西暦没年と同じ数字で「国芳だけに偶然とは思えぬ」とも。

 自身が他界する年を予想するだけに、存在しない巨大な塔をも描く独創があったのか。斎藤館長は「絵を見てそれぞれに想像を膨らませてほしい」と言う。同展は26日まで。4月4~23日には同展後期があり、併せて100点を超える国芳作品を鑑賞できる。問い合わせは同館(044・222・0310)。【塩谷英明】
2011年3月4日
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rtfk

昨夜テレビでやってましたから^^)
by rtfk (2011-03-05 06:55) 

オカジュン765

おはようございます。まいど訪問おおきにです。
夢は夢で見ておきましょう。その方がロマンがありますから。
私はお水番さんと逆で本を読み出すと眠れないタイプです。
by オカジュン765 (2011-03-05 07:11) 

お水番

rtfk さん、ようこそ。
テレビでもやったんですね。そうなんだ、知りませんでした。
ありがとうございました。
by お水番 (2011-03-05 22:25) 

お水番

オカジュンさん、ようこそ。
そうですね。夢は見ているうちが華!
by お水番 (2011-03-05 22:26) 

きたろう

お水番さんへ(←きたろう)
了解しました。時間のある限り聞いて見ます。
by きたろう (2011-03-07 16:03) 

お水番

きたろうさん、よろしくお願いいたします。
by お水番 (2011-03-07 18:15) 

きたろう

こんにちは  深川江戸資料館に行ってきました。受付で、国芳の絵に関して、質問がある旨話して、出て来た若い女性の方(多分学芸員の方)に、お水番さんの質問をぶつけましたが、残念ながら結論的にはどれに関しても有力な情報は得られませんでした。近くに、区立深川図書館というのがあるので、そちらの方が、ここより文献・古文書はあるとの話でした。この図書館には、地域の歴史に関する資料・文献があり、この資料・文献は閉架式になっていますが、係の方に頼めば、資料は見られると言うことでした。(この、国芳の絵に関しては、マスコミ等から電話での問い合わせがあったそうです)。念のため、ロビーにある地域の歴史情報のファイルや図書・刊行物についても調べましたが、やはり有力な情報は得られませんでした。但し、メイン展示の、原寸大の町並み再現で、火の見櫓がありました、高さは9m位でした。形はずんぐりしていました。深川江戸資料館の様子は、写真を中心に、きたろう散歩でアップ予定です。
by きたろう (2011-03-11 13:20) 

お水番

きたろうさん、深川江戸資料館の件、ありがとうございます。
地震が落ち着いたら、ゆっくりお返事いたします。
きたろうさんの発信日時、地震の少し前ですね。ご無事だったでしょうか。

by お水番 (2011-03-12 10:45) 

きたろう

ご心配ありがとうございます。お水番さんもご無事でよかったです。地震のときは、初期微動がやけに長いので、不安になり、退路確保で玄関を開け、玄関のポーチでゆすられていました。地震以来、身内(宮城、青森在住)と連絡を試みていますが、携帯・固定・公衆電話いずれも通じません。一人だけはAUの災害伝言で無事が確認出来ました。メールは、昨日の夕方発信した返信がほぼ24時間後に一通来ました。現地に車で行こうかと思ったが、高速、一般道とも被害を受けているので断念。電話の復旧を待つばかりです。
10日の写真は、一両日中にアップ予定。
by きたろう (2011-03-12 23:29) 

お水番

きたろうさん、ご無事でよかったです。
私は、国分寺駅前のバス停に降りましたが、最初は本当にわずかな揺れが次第に大きくなりました。路上で大きな揺れを経験したのは初めてでしたが、普通の地震とは揺れ方が違うなあと感じました。波打つような大きな揺れが、これでもかこれでもかと続きましたね。

阪神大震災の時の西宮の揺れは、最初にものすごい縦揺れが一発きて、それから横に微動が2~3秒、その後、横揺れの激震が10数秒でした。
今回の地震は、時間が異常に長かったので、その瞬間から、これまでとはまったく違う何かが起きたような気がしていました。

宮城、青森のお身内、ご心配ですね。
私も、宮城と岩手に親類が大勢います。東京と被災地は、電話が非常につながりにくいようですが、その中間に住んでいる親戚が、現地と連絡が取れた範囲において、何人かは無事が確認できていますが、一番心配な南三陸町や山田にも親戚がいて、まったく安否がわかりません。
いてもたってもいられない気持ちです。


by お水番 (2011-03-13 09:10) 

きたろう

今朝、仙台から連絡があり、無事とのことでした(青森は昨日連絡あり)ご心配をおかけしました。お水番さんもご心配ですね。日が経つにつれ、悪いニュースがエスカレートしていますが。こんな時に何なんですが、一応深川江戸資料館訪問のレポートをアップしました。落ち着いたらご覧ください。

by きたろう (2011-03-14 10:39) 

お水番

きたろうさん、仙台の方も、青森の方も、ご無事で本当によかったです。私のほうは、山田の親戚は、数人で孤立していたところを、規制を突破して山越えで現場に入った方に発見してもらい、救助待ちとの連絡が今朝、ありました。南三陸町のほうは、依然、不明のままです。
深川江戸資料館訪問のレポートのお知らせ、ありがとうございます。これから訪問させていただきます。
by お水番 (2011-03-14 16:42) 

きたろう

山田の親戚の方見つかって良かった、良かった。NHKのラジオ深夜便(3月15日AM3:30頃)山田の状況が短く報道されました。『津波の後、山田は大規模火災に見舞われた。現在、避難所は、電気、ガス、水道、電話が全部だめ。炊き出しが行われているが、一人、一日おにぎり一個のみ。通信手段は、役場の岩手県庁直通のFAXのみ。このFAXで連日救助を求めている。』とのことでした。行方不明者や安否情報はありませんでした。
南三陸町の方は、ご心配ですね。
by きたろう (2011-03-15 06:54) 

お水番

きたろうさん、ありがとうございます。
避難所の様子はだいぶわかってきましたが、まだまだ、ごく少人数で孤立している人たちがいるようです。せっかく生存しているのに、寒さの中、食料・水が底をつかないうちに早く見つけ出されないと・・・。

by お水番 (2011-03-15 09:34) 

きたろう

こんにちは。
大地震後、親戚、友人、知人の安否確認で忙しく、「国芳VS東京スカイツリー」のフォローアップ・完結編のタイミングをやや失ってしまいましたが、本日(3月21日)AM、(3)として、やっとアップしました。訪問頂ければ幸いです。
「きたろう散歩(名所江戸百景を歩く)」
http://hiroshige-kitarou.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21
by きたろう (2011-03-21 11:43) 

お水番

きたろうさん、ありがとうございます。
ブログ、訪問させていただきます。
by お水番 (2011-03-21 16:13) 

きたろう

お水番さん訪問ありがとうございます。
東北地方のご親族、ご心配ですね。
きたろうの、親戚、友人、知人は大多数は無事が確認できましたが、気仙沼市と南三陸町歌津の知人が消息不明です。数日前から、Google のパーソンファインダーで情報を毎日チェックしていますが、今のところ手掛かり無しです。
国芳は、都内に所用のある都度、少しずつでも調査を継続しようと思っています。
by きたろう (2011-03-21 18:20) 

お水番

気仙沼市と南三陸町歌津・・。私の親類も、南三陸町志津川におります・・。
お知り合いのご無事をお祈りいたします。
by お水番 (2011-03-21 19:33) 

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