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東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ ブログトップ
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60報~津田塾大学の公開j授業「総合2011」で3回にわたって原発問題 [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

名水の会会員からの案内です。
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津田塾大学の「総合2011」(現代の危機~みつめる、みなおす、みはらす~)では、3回に渡って、原発問題をとりあげます。

公開授業ですので、どうぞご参加ください。
この講座は本学学生のための正規授業ですが、市民の方々との交流を願って一般に公開 しているものです。年度ごとに現代の切実な問題を取り上げて、学生と教員が協力して運営にあたります。下記の要領にて聴講ができますので、奮ってご参加ください。

場所:津田塾大学 小平キャンパス 1111教室
(小平キャンパスへのアクセス
http://www.tsuda.ac.jp/contents02.php?contents_id=7qcRYvvhMH7z
参加方法:毎回、本学正門守衛所にて、住所・氏名等をご記入ください。
(先着100名。満席の場合には、入場をお断りすることがあります。)
詳細:http://www.tsuda.ac.jp/contents02.php?contents_id=NsEH30uTakWF

6/16(木)13:00~14:30
講師:鎌仲ひとみ(ドキュメンタリー映画監督)
題名:放射線は人間に何をするのか
─ー安全デマゴーグを読み解く

6/23(木) 13:00~14:30
講師:広河隆一氏(フォトジャーナリスト/DAYS JAPAN編集長)
題名:チェルノブイリから福島へ

9/22(木) 13:00~14:30
講師:小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)
題名:「原子力=核を選んだ世界の末路」


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59報~東日本大震災:宮城・南三陸で写真館経営の佐藤さん、故郷を撮影 東京で講演  [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

毎日新聞 2011年6月10日 地方版より

東日本大震災:宮城・南三陸で写真館経営の佐藤さん、故郷を撮影 東京で講演 /千葉
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110610ddlk12040248000c.html

---(以下、記事の転載)--------
 ◇被災地の今を伝えたい 写真イベントで22日に
 東日本大震災で被災者を支えた写真の大切さや、最先端の撮影技術などを紹介するイベント「フォトネクスト2011」が21、22日の2日間、東京都江東区有明の「東京ビッグサイト」で開かれる。甚大な津波の被害を受けた宮城県南三陸町で写真館を営み、震災直後から町や被災者を撮影し続けた佐藤信一さん(45)が、被災地の現状や写真の大切さについて講演する。

 佐藤さんは父親から同町志津川の海岸近くの写真館を受け継ぎ、生まれ育った町や町民をカメラに収めた。

 3月11日、高台の志津川小学校から津波にのみ込まれる町を撮影。津波で家と店を失い、自らも被災者となったが、「町で起きたことをすべて見届けたい」と、廃虚となった町や、家や家族を失った被災者を撮影し続けた。

 また、自宅を流され、思い出のアルバムを失った被災者のため、同小学校の新1年生と家族を対象に無料の撮影会を開き、写真をプレゼントした。講演では、撮影を通じて感じた被災地の様子や写真の可能性について話す。

 イベントでは、災害時に写真記録を残すためのデータ管理のあり方や高性能デジタルカメラ「ハイエンドデジタルバック」を使った撮影技術も紹介。最新機材の展示や販売ブースもある。佐藤さんの講演は22日午後1時から。入場は無料。時間は午前10時~午後6時(22日は午後5時まで)。問い合わせは、株式会社プロメディア(03・3549・1231)へ。


こちらにも、同記事が紹介されています。
南三陸町支援情報ポータルサイト:
http://minamisanrikushien.blogspot.com/2011/06/610_1035.html

フォトネクスト2011:
http://www.photonext.jp/


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57報~ストップ原発!たまウォークinこくぶんじ(2011.6.11実施) [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

当日の模様はこちらに:
News for the People in Japan (NPJ):
http://www.news-pj.net/
バイバイ原発国分寺の会 3.11 超ローカルウヲーク:
http://www.news-pj.net/genpatsu/2011/0611.html

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ストップ原発!たまウォークinこくぶんじ

6月11日(土)10時30分
本町・南町地域センター出発(小雨決行)

福島原発事故から3ヶ月。
あなたは何を感じていますか?
6月11日は全国脱原発100万アクションの日です。
ご一緒に行動しましょう。
楽器やプラカード、コスプレなど持ち込み大歓迎。
もちろん手ぶらでもOK。コース途中からもOKです。
子どもも車いすの方も歓迎。ゆっくり歩きましょう!
水筒・帽子をご用意ください。

●コース
本町・南町地域センター ⇒ 多喜窪通り ⇒ 武蔵国分寺公園外周通り ⇒ 
西国分寺駅南口 ⇒ 多摩蘭坂 ⇒ 旭通り ⇒ 国立市公民館

主催:Bye-Bye原発/国分寺の会  
呼びかけ人:内田文子・亀倉順子・中山幸子・梁川律子・藤木千草

詳細はチラシをご覧ください
ストップ原発たまウォークin国分寺ちらし.pdf

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56報~南三陸町防災対策庁舎屋上で、屋上が津波に飲まれる瞬間を撮った職員のこと [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

甚大な津波被害を受けた宮城県・南三陸町のホ-ムペ-ジの中に衝撃的な写真を発見したのは、たしか、今から3週間ほど前のことでした。

それは、津波が来る前の様子や、役場の本庁舎が津波に飲み込まれていく写真に続いて、最後の1枚は、津波で屋上まで水没した南三陸町役場防災対策庁舎の屋上の上から、その場所がまさに水没する瞬間を捉えた写真でした。
南三陸町ホ-ムペ-ジ:http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/
行政情報 > 東北地方太平洋沖地震関係 > 南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/uploads/photos1/2064.pdf

見た瞬間、目を疑いました。
航空写真ではなく、まさに、その瞬間、津波に飲み込まれている屋上以外では撮影できない写真です。

でも私はこの写真を、自分のブログからリンクを張って紹介することができませんでした。
この場所で撮影していたということは、役場の広報担当職員に違いありません。
あのアンテナのようなところによじ登っていた二人の職員のうちどちらかだろうか、とも思いました。
でも、アンテナの上にいた人が撮影していたのなら、その後の写真を撮っていてもおかしくない。

しかし、写真は防災対策庁舎の屋上がまさに津波に飲まれる瞬間で終わっています。
撮影者は助かったのだろうか。
撮影者は波に飲まれてしまい、カメラだけが発見され、中のデ-タが無事だったということなのだろうか。

撮影者が無事だったことが確認できるまで、この写真はとても紹介できない。
そう考えていました。

今日(5/21)の朝日新聞夕刊で、その撮影者が波に飲まれながらも、助かったことがわかりました。
撮影者は、当時、企画課で広報を担当していた加藤信男さん(39)。

朝日新聞2011年5月21日14時0分
命かけ残した津波写真 南三陸職員、流されるまで撮影:
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105210191.html

----以下、記事の転載------
3階建ての防災対策庁舎の屋上が津波に襲われた瞬間=3月11日午後3時34分、宮城県南三陸町、加藤信男さん撮影、同町提供
(写真)

加藤信男さん(39)=宮城県南三陸町、三浦写す
(写真)

津波で破壊された防災対策庁舎=20日、宮城県南三陸町、三浦写す
(写真)

津波で破壊され、骨組みだけになった宮城県南三陸町の防災対策庁舎。その屋上で、建物が津波にのみ込まれる瞬間まで、写真を撮影し続けていた町の広報担当者がいた。自らもその直後に流されたが、上司に救助され、一命を取り留めた。「この記録だけは残したい」と、抱え込んだカメラは水につかり壊れたが、データだけは残っていた。

 同町総務課職員の加藤信男さん(39)。当時、企画課で広報を担当していた加藤さんは地震発生直後からカメラを握りしめ、棚が倒れて書類などが散乱する役場内を撮り続けた。

 町の様子を撮ろうと外に出たとき、役場の隣に立つ高さ13メートルの防災対策庁舎から「すぐ上がれ、津波が来るぞー」という声が聞こえ、階段を駆け上った。

 屋上にたどり着くと、海の方から黄色い煙を巻き上げ、津波が押し寄せてくるのが見えた。民家や車をのみ込みながら、庁舎に押し迫ってくる。加藤さんは「ずっと(カメラの)ファインダーをのぞいていたので、不思議と恐怖は感じなかった」。

 津波は時間とともに、どんどん高くなった。ちょうど3階建ての庁舎の屋上にまで達しようとしたとき、誰かが「来るぞ、つかまれー」と叫んだ。夢中でシャッターを押し続けていた加藤さんは、慌てて周囲を見回したが、つかまる場所がない。黒い波に足元をさらわれた瞬間、反射的にカメラをジャンパーの内側に押し込んだ。

 「自分が死んでも、この記録だけは残そう」

 全身がのまれて流された。ふと波間に顔が出たとき、「おれの手につかまれ!」という大声を聞いた。遠藤健治副町長だった。とっさに腕をつかんだが、また体は水面下に潜った。息ができず数分。「ちっくしょー、死にたくない!」。頭の中で何度も考えたが、そのまま気を失った。

 水が引いて気がついたときには、庁舎の屋上の端から端まで十数メートル流されていた。手すりをつかんだ副町長が、もう片方の手でずっと離さずにいてくれた。「いくら感謝しても、感謝し切れません」と話す。

 庁舎の屋上には当時、約30人の町職員らが避難していたが、生き残ったのは11人だけ。デジタルの一眼レフカメラは使えなくなったが、データは奇跡的に残っていた。加藤さんは「生き残った南三陸の人々と一緒に、これからも一生懸命頑張っていきたい」と話している。(三浦英之)
----以上、記事の転載------
20110521朝日新聞夕刊命がけで残した写真.JPG


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55報~4/29に開催された集会「終焉に向かう原子力」第11回 チェルノブイリ原発事故25周年 東海地震の前に浜岡 [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

4/29に明治大学アカデミーコモン内アカデミーホールで開催された集会についてのレポートです。

「終焉に向かう原子力」第11回 チェルノブイリ原発事故25周年 東海地震の前に浜岡原発を停止させよう 福島原発震災をくりかえすな
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■4月29日(金) 13:00~17:00(開場12:30)
■明治大学アカデミーコモン内アカデミーホール (JR御茶ノ水駅徒歩5分)
浜岡原発現地報告(13:00~) 伊藤実(「浜岡原発を考える会」代表)、生方卓(明治大学教員)、内藤新吾(日本福音ルーテル掛川・菊川教会牧師)
講演 (14:20~) 
小出裕章(京都大学原子炉実験所)「悲惨を極める原子力発電所事故」
広瀬隆(作家、ジャーナリスト)「原子炉時限爆弾――年々迫る東海大地震と、浜岡原発の危機」
参加費:1000円
主催:「終焉に向かう原子力」実行委員会、浜岡アクション(東海地震の前に浜岡原発を停止させよう首都圏アクション)、現代史研究会問合せ先:TEL/FAX 03-3739-1368
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残念ながら私は、帰盛準備のために参加できませんでしたが、名水の会で集会に参加した人からのレポートを紹介します。

1200人の会場が満杯で、外に数百人がいて、なんとか話だけでも聞けないかと集まっていましたとのこと。
小出さんはわざわざ出てきてくださり、涙ながらに「原発を止められず、こんな事態になり、研究者として申し訳ありません」と話されました。「がんばってー」の声があちこちからあがり、拍手で気持ちを伝えました。

会場内では、小出さんの話が終わった後、コンサートのアンコールのように拍手が鳴りやまなかったとのことです。
日本という国がいつ壊滅してもおかしくない状況にあるということであり、パニックをおそれるあまり、そうした認識が広まらないように情報が制御されているのが現状。

集会の内容は下記に紹介されています。
http://www.janjanblog.com/archives/37920

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54報~故吉村昭さんの「三陸海岸大津波」 [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

先月、4/15から4/22まで、義父の葬儀のため盛岡に滞在していましたが、この連休も遺品整理のために再び盛岡へ。
留守にした5日に間に、名水の会のメ-リングリストには、「脱原発」に関するさまざまな情報が飛び交っていました。

原発のこと、あまりにも知らなすぎました。
すべての原発が海岸にたっているのに、5mほどの津波しか想定していなかったなんて、驚く以前に、それを知らなかった自分の無知を恥じています。

故吉村昭さんの「三陸海岸大津波」が脚光をあび、5万部が緊急増刷されたとかで、今、本屋さんに山積みになっています。
三陸海岸を襲った、明治二十九年の大津波、昭和八年の大津波、昭和三十五年のチリ地震津波の三大津波がどのようにやってきたか、その惨状を体験者の証言をもとに再現し、記録したものです。

数年前、まだ父が元気だったころ、父の本箱から失敬して私の本箱に移した本の中に、たしかこのタイトルの本があったと思い出し、探してみましたが、並べたはずの場所にありません。
なんと、3/11の地震で、他の数冊と一緒に下に落ちていました。

未読のまま、いつか読もうと思っていた本でした。
それを今、読んでいます。
昭和45年に刊行された本で、私が持っているのは、昭和59年に中公文庫から出版されたものですが、明治二十九年の大津波では、津波が二十数メートルの高さにおよんだことがわかっており、そのことがちゃんと書いてあるのです。

今回の津波は千年に一度のことで、全くの想定外などといわれていますが、百年ちょっと前に今回の津波以上の津波が起きているのです。

にもかかわらず、大津波を想定しない海岸沿いの原発。知ってみれば狂気の沙汰です。

いまや、そういうことを「知らなかった」ではすまされない。
もはや、「脱原発」以外に道はないと思っています。
原発に依存しない代替エネルギーについて考えると同時に、電気に依存しない生活、電気を使わない生活のあり方についても考えていきたいと思います。
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呼びかけ~津波被災地の航空写真とストリートビューを保存するようGoogleへの要請にご協力ください(2011.3.31) [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

続報~「津波被災地の往時を写すネットの映像情報が、住民らの運動で保存へ」 (2011.5.5)

Googleに被災前のストリートビューを保存するよう働きかけてきたmterachanさんからの続報です。
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「被災地ストリートビュー保存のお願い」http://togetter.com/li/112160 が、当地の河北新報社に取り上げてもらえました。「津波被災地の往時を写すネットの映像情報が、住民らの運動で保存へ」 http://bit.ly/iNfiKz 御一読いただき広めていただければ嬉しいです。
by mterachan (2011-05-04 13:26)

「Cafe Vita」 津波被災地の往時を写すネットの映像情報が、住民らの運動で保存へ:
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/bLJIfqNTWuFXKodak0hU/
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朗報~Googleが被災前のストリートビュー保存を公式に明言!(2011.4.11)

Googleに被災前のストリートビューを保存するよう働きかけてきたmterachanさんから朗報が届きました。
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さすが、Google! みなさんありがとう!
被災地ストリートビューに関して、公式コメントが出たよ! Google徳生部長は「被災前の写真を史実として残すことは重要だと思っている。これまで撮影した画像を消去することはない。どう見せていくかは検討中」とコメントした。 http://bit.ly/hNgn1R
by mterachan (2011-04-11 18:18)
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記事は「ねとらぼ」で読めます。
Google ストリートビュー 被災地の写真は今後どうなる?
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1104/11/news060.html

そしてさらに、Yahoo!が新プロジェクト「震災の記録を写真でのこす 東日本大震災 写真保存プロジェクト」を立ち上げました。

震災の記録を写真でのこす 東日本大震災 写真保存プロジェクト
http://shinsai.yahoo.co.jp/archive/index.html
Yahoo! JAPANは、東日本大震災で失われる前の街並みや風景、震災直後の様子、今後の復興の過程など震災の記録を写真でのこす「東日本大震災 写真保存プロジェクト」を本日立ち上げました。
写真投稿の受付開始は4月中旬を目指していきます。


追加記事
2011.4.1(2:29) 報告:Google Mapの航空写真が被災後の画像に差し替えられた。
2011.4.1(9:05) 報告:Google に対する要望を整理して再度要請。
2011.4.1(15:25) 報告:被災地の詳細な航空写真公開についての報道
2011.4.3(0:30) thgraceさんの被災地ストリートビュー[名取 閖上 ストリートビュー]その2 (4/2リンク追加)http://togetter.com/li/118975
2011.4.6 49報~頑張れ、志津川の信ちゃん!記録し続ける南三陸町地元カメラマン佐藤信一をアップhttp://masugata.blog.so-net.ne.jp/2011-04-06
2011.4.10 thgraceさんの被災地ストリートビュー[名取 閖上 ストリートビュー]その3 (リンク追加)
http://bit.ly/hkaqTk
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津波被災地の航空写真とストリートビューを保存するよう、Googleに要請しています。

三陸沿岸の被災地では、ほとんど全ての人家も、そして役場も跡形もなく流されてしまったので、街の記憶をとどめる画像や映像も消えてしまいました。そして、今、その画像はGoogle Mapの航空写真とストリートビューにしかありません。

町の元の姿の記録を残すことが、再建・復興へのエネルギーとなり、絆となるはずです。根こそぎなくなってしまった街の被災前の画像を、ずっと保存して見られるようにして欲しい。このことを大きな声にしてGoogleに伝えたいと思います。

グーグルマップへの要望は、次のurlから行えます。
http://www.google.com/support/forum/p/maps?hl=ja

現在、被災地のストリートビューの保存に関して、三つの項目(トピックス)がたてられています。
・被災地のマップに関して
・大地震被災地域のデータ保持についてのお願い・提案
・被災地のストリートビューの保存と、当該自治体への提供。ならびにメモリアルサイトの作成を要望します

要望の書き込みは、どの項目でもかまいません。

ログインするためには、自分のアカウントを作成しなければなりませんが、どうぞご協力ください。ご賛同いただける方は是非、ログインして、要望を書き込んでください。よろしくお願いいたします。

2011.3.31 畑中久美子

以下<経緯><報告>をお読みください


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53報~(個人的なことですが)震災後、初の演奏会(2011.4.30) [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

午後からOH!ジ-ンズ(和楽器アンサンブル)で、昭島の高齢者施設のデイケアに通っているみなさんの前で1時間ほどのコンサ-トをしてきました。
震災前の2月ごろから決まっていたコンサ-トで、震災後、はじめてのコンサ-トでした。

民謡が大好きなみなさんで、一緒に元気に歌ってくださいました。
曲目は馴染みのあるものを選び、一緒に歌ってもらう曲については歌詞カ-ドもつけたプログラムを用意しましたが、歌詞カ-ドのない曲も知っている方がいらして、ずっと歌ってくださいました。

プログラムは全12曲。一時間では全部はちょっと無理かなと思っていたのですが、調弦やト-クもトントンと進み、ぴったり一時間で12曲全曲演奏できました。
そこへ予想外のアンコ-ルがかかり、今回は特にアンコ-ル用の曲は用意していなかったのですが、急遽、「新相馬節」をやりました。
しんみりとした曲である上に、相馬は今回の津波で大きな被害を受けた地域ですから、この曲はあえてプログラムの中には入れていませんでした。
普通なら、アンコ-ルでやる曲ではない曲ですが、なんとなく、これをやろうという気持ちが瞬間的に一致してしまいました。
歌ったのは三味線弾きの沼ちゃん。宮城の出身で、友人が二人、津波で家を流されました。
歌いながら、津波で家が流されていく様が目に浮かんでしまい、歌は歌いきりましたが、その後、友人のことをしゃべっているうちに涙声に・・・。
普段、クールな男の涙でした。

こんな時ですから、こういうアンコ-ルもよかったのではないかと思います。

久々に爽快感を感じました。
なんだかしらないけれど、かつてないほどの練習不足なのに笛がよく鳴ること。

でも、それだけじゃない・・・。
東京は地震災害や津波の直接的な被害を受けたわけではないけれど、私自身の中で、音楽と向き合う心持ちが何か少し、前とは変わったような気がします。
笛ひとつ、前のように平然とは吹けない。
笛に息を吹き込み、音として鳴らす時、何かヒリヒリするものがあるのです。


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52報のまとめ~赤坂サカスの写真展 南三陸町写真館店主佐藤信一が撮り続ける復興の記録 [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

あの日から撮り続ける「復興の記録」~南三陸町写真館店主 佐藤信一 記録写真展示~(@赤坂サカス)のレポート<インデクス>
その1その2その3その4 (4/12TBS放送より @赤坂サカス大画面より)
その5 (佐藤信一写真展示より@赤坂サカス)


スライドショーをアップしました。

4/12TBS放送より(赤坂サカス大画面より)





佐藤信一写真展示より




赤坂サカス イベント情報:
http://sacas.net/event/event_index1104.html?iurl=days%2F201104%2F20110425.html


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52報の5~赤坂サカスの写真展 南三陸町写真館店主佐藤信一が撮り続ける復興の記録 その5 [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

その5です。
その1はこちらその2はこちらその3はこちらからその4はこちらから

佐藤信一撮影の写真です。
六角形のスタジオの周りを回って、じっくり見ました。
時系列と関係なく、津波の時の写真、津波が引いた後の写真、避難所でのさまざまな場面の写真などがシャフルしたように並んでいました。

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TBSの巨大な社屋と超高層ビルの間のお洒落なサカス広場。見上げた空は吸い込まれそうなほど真っ青でした。ちょうどお昼時にかかり、TBSの社屋の中から大勢の人が出てきて、広場を横切り、街へ繰り出して行きました。
その広場の真ん中の、お洒落なテントみたいな形のスタジオから送られた映像が、巨大なオーロラビジョンに映し出されています。その中身は震災への応援メッセージであるにもかかわらず、今、日本が直面している国難はどこか遠い世界の出来事であるかのような、まったく別の世界がここにあるように思いました。

青空の下、お洒落なテントみたいな形のスタジオの外壁一面に、あっけらかんと、信ちゃんの写真が貼り付けられています。
素通りしてしまえば、カラフルなディスプレーのよう。
でも、スタジオのまわりを何周も回りながら、一点一点の写真を見入っていると、そこはもうスタジオの壁ではなく、南三陸町の街の今の姿と、その向こう側にある遠い時代の海と山の風景に引き込まれて行くようでした。
この赤坂の街の喧騒は、もう耳には入りません。

信ちゃんの写真には、必ず、山の稜線や岬などの遠景がはいっています。
オーロラビジョンに映し出された信ちゃんが、歪んで波打つ線路を撮る時、レールを跨ぐようにお尻を落として撮影している姿が印象的でした。
彼の写真は、瓦礫の山や曲がった線路など、衝撃的な対象物をアップで撮っても、その向こう側には必ず、山や岬などの遠景へと繋がっているのです。
今、街がどんなに変わり果てた姿になろうとも、有史以来、何千年も形を変えない山や海。
街の姿にそれをしっかりと写し込むことが、本当の意味で、街の姿を記録するということなのだと思いました。
街の写真屋にしか撮れない写真です。

災害で壊れるものと、災害では壊れないものとがある。
信ちゃんの写真には、その両方が写っている。
それがきっと必ず、この街の再建のエネルギーを生むはずです。

どうぞみなさん、見に行ってください。

赤坂サカス イベント情報:
http://sacas.net/event/event_index1104.html?iurl=days%2F201104%2F20110425.html


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