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「三宅島噴火災害動物救護センター」のセット~映画「ロック~わんこのしま~」の撮影地より [インフォメ-ション&レポート]

武蔵国分寺公園と東山道武蔵路の遺跡道路の間の空き地(東京都所有)で映画「ロック~わんこのしま~」の撮影が行われており、映画のセットらしきプレハブに「三宅島噴火災害動物救護センター」という大きな看板がかけられていると夫が言うので、見に行ってきました。

昨日の記事にも書いたように、私は三宅島噴火の時に支援活動にかかわり、本当にたくさんの人に出会いました。当時の支援者たちと、今はもう、ほとんど交流はありませんが、この災害のことが10年たって映画になるというのは、何か感慨深いものがあります。

三宅島噴火は、大災害時に家族の一員であるペットをどう扱うかということがはじめてクローズアップされた災害だったように思います。
近所の小学校や公民館に避難するのではなく、全島民が一斉に本土に避難したわけですから、当然、ペットも噴火ガスの充満する島に置き去りにするわけには行きません。
しかし、都内の避難場所となった都営住宅ではペットを飼うことはできないので、ペットたちは「三宅島噴火災害動物救護センター」に預けられ、そこで飼育されていたのでした。

「三宅島噴火災害動物救護センター」に私は直接出向いたことはありませんが、たしか日野市の多摩川べりにあったと聞いています。
被災者の方で今も交流のある人が飼っていた大型犬も、ここに預けられ、一日がかりで犬に会いに行った話しなどを聞いていました。
三宅島噴火は、子供たちも親元を離れて秋川高校に集団疎開させられていましたし、ペットを含めた家族が、災害によって引き離される現実がつきつけられた災害でもありました。
「三宅島噴火災害動物救護センター」は、秋川高校とともに、あの災害を象徴するものだったように思います。

国分寺のロケ現場は、もちろん、当時そこに「三宅島噴火災害動物救護センター」があったわけではありませんが、映画のセットに「三宅島噴火災害動物救護センター」の看板がかかっているというので、思わず、見に行きました。携帯電話のカメラで一枚、パチリ。

201101151538000映画撮影現場.jpg

プレハブの手前に、傘を差した青年が椅子に座って、長い間、じっとしています。
この後、ここにホースで雨を降らせました。
そのあと、子役の少年が同じ場所に立って、本番の撮影となったようです。
傘をさした青年は、椅子に座って子供と背丈を同じにしたカメラテストだったのでしょう。

子供が「三宅島噴火災害動物救護センター」の前で、雨の中、傘をさしながらたたずむ場面が映画に出ているのでしょうね。

この後、東山道武蔵路の遺跡道路(公道)を歩きながら、夫も携帯カメラで一枚撮ったら、道路をウロウロしていた撮影スタッフがすっとんできて、「写メはご遠慮ください」と言われました。
撮影現場となっている空き地は、東京都の所有地、つまり公有地です。
映画会社が公有地を借りて、幕などの覆いもせずにセットをつくり、クレーンをたて、ライトをたいて何やらやっているのを、敷地の外の公道から携帯で撮っただけなのに、何で撮るなと咎められるのでしょうね??

撮影サイドとしては、俳優さんの肖像権の保護に気をつかっているのでしょうけれど、うちら、「三宅島噴火災害動物救護センター」の看板のかかっているプレハブを撮っただけなのに。
撮影現場の空き地のすぐ近くには、三宅島の被災者が避難していた都営住宅もあります。今も住んでいらっしゃるのか、帰島されたかは知りませんが、撮影現場は被災者を受け入れた土地でもあるのです。
そういうことを、映画の作り手側は、多分、知らないのでしょう。考えることもないのでしょうね。

三宅島噴火災害は、現実の問題として、まだ終わってはいない。
それが「感動秘話」として物語にされてしまうことのギャップに戸惑いを覚えずにはいられません。
三宅島噴火では、噴火そのもので亡くなった人は一人もいませんでした。
でも、避難先の東京や地方で家族が離れ離れになり、帰島を果たせないまま亡くなった方も大勢いらっしゃいます。
噴火から5年目にようやく、島への立ち入り禁止が解除され、帰島を果たした方もいらっしゃいますが、島の一部はまだガスにおおわれて立ち入り禁止の区域が残っています。
観光も産業も、まだまだ元には戻っていません。
島へ帰りたい気持ちはあっても、帰島しない道を選んだ方々も大勢いらっしゃいます。
三宅島噴火災害が「時間の災害だ」といわれるのは、まさにその通りなのです。

どんな映画ができるのでしょうね。
期待をしつつ、現実離れしたモノガタリに仕立てられて行くのだろうな、とも思います。
大災害の映画化は難しいといいますが、たしかにそのとおりでしょう。

でも、ともかく三宅島に注目が集まるのはいいことです。
島の復興の命綱はなんといっても観光です。
映画がヒットし、大勢の人が三宅島を訪れるようになることを祈りましょう。


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オカジュン765

こんにちは。まいど訪問おおきにです。時間の災害、当にその通りですね。
こちら関西でも明日が阪神淡路大震災から16年になります。ここにも時間の災害が残っているのが現状です。
by オカジュン765 (2011-01-16 14:19) 

お水番

オカジュン765さん、いつも訪問ありがとうございます。私も阪神大震災の時、夫の転勤で西宮に住んでおり、被災しました。震度7でした。
その後、東京に戻りましたが、2003年から2005年までの2年間、やはり転勤で、大阪天六に住んでいました。オカジュンさんのお近くですよね?
明日、1月17日は阪神大震災で亡くなった方々のご冥福を祈りながら、一日を過ごしたいと思います。
by お水番 (2011-01-16 15:03) 

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