▼国分寺崖線裾野の湧水を集めて流れる野川の最源流「真姿の池湧水群」の観測日誌 ▼ガイド・観察日誌・トピックス・インフォ→構成は「サイトマップ」「真姿の泉TODAY index」参照
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~4.宝塔山古墳(総社古墳群) [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
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