▼国分寺崖線裾野の湧水を集めて流れる野川の最源流「真姿の池湧水群」の観測日誌 ▼ガイド・観察日誌・トピックス・インフォ→構成は「サイトマップ」「真姿の泉TODAY index」参照
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~8.八幡塚古墳 [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼八幡塚古墳。巨大な前方後円墳です。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼八幡塚古墳。巨大な前方後円墳です。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~7.かみつけの里博物館 [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼かみつけの里博物館の駐車場に降りると、道路の向こうは八幡塚古墳です。
▼かみつけの里博物館へと向かいます
▼展示室は撮影禁止なので、撮影してよいレプリカのみ。
常設展であり、展示物の内容からも、なぜ撮影禁止なのか理由がわかりませんが・・。
かみつけの里博物館のホームページ:
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/kamihaku/
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼かみつけの里博物館の駐車場に降りると、道路の向こうは八幡塚古墳です。
▼かみつけの里博物館へと向かいます
▼展示室は撮影禁止なので、撮影してよいレプリカのみ。
常設展であり、展示物の内容からも、なぜ撮影禁止なのか理由がわかりませんが・・。
かみつけの里博物館のホームページ:
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/kamihaku/
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~6.総社神社 [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
かみつけの里博物館をたずねる前に、国府跡推定地の総社神社を見学。
▼総社神社入り口(駐車場から)
▼社殿の裏側に出ました。極彩色の壁画がきれいです。
▼立派な神楽殿がありました。
▼社殿正面から
▼石の鳥居としめ縄
▼作業小屋のようなところで、なにやら作業をしています。
▼茅の輪(ちのわ)を作っていました。夏越しの祓(なごしのはらえ)の準備です。
▼となりには、お神輿が格納されていました。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
かみつけの里博物館をたずねる前に、国府跡推定地の総社神社を見学。
▼総社神社入り口(駐車場から)
▼社殿の裏側に出ました。極彩色の壁画がきれいです。
▼立派な神楽殿がありました。
▼社殿正面から
▼石の鳥居としめ縄
▼作業小屋のようなところで、なにやら作業をしています。
▼茅の輪(ちのわ)を作っていました。夏越しの祓(なごしのはらえ)の準備です。
▼となりには、お神輿が格納されていました。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~5.蛇穴山古墳(総社古墳群) [インフォメ-ション&レポート]
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~4.宝塔山古墳(総社古墳群) [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~3.総社資料館 [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社公民館の駐車場でバスを降りると、見える範囲に二つのこんもりした小山が。
これが蛇穴山(じゃけつやま)古墳。
▼そしてこちらが、宝塔山(ほうとうざん)古墳。
先に総社資料館で昼食をとって、そのあとで蛇穴山古墳と宝塔山古墳も見学しますが、すばらしい石室にびっくり仰天でした。
▼用水沿いの道を進んで用水を渡ると総社(そうじゃ)資料館。
▼入り口に素敵な絵地図がありました。
▼資料館は本間酒店の酒蔵を利用して整備した施設です。
▼松尾芭蕉の歌碑。今日ばかり人も年寄れ初時雨
▼左が西倉、右が北蔵。
▼西倉には総社地区の古い民具が展示されています。
▼北蔵。立派な酒蔵です。
▼その東側にも立派な母屋が。
▼雨がすっかりあがったので、外でお弁当です。
▼北蔵の内部を見学します。
▼すごい梁です。
▼二階もあります。
▼昔ながらの酒造りの工程を書いた絵が展示されていました。
▼正面の大きな展示物は
▼地形がわかる立体地図です。これはすごい!
▼上野国府の市想像図
▼地図の展示物
▼市内の古墳についての展示物
▼これから見学する宝塔山古墳の石棺のレプリカが展示してありました。レプリカで見るとあんまりピンときませんが、現地で見ると・・・。
▼埴輪のレプリカ
▼刀剣
▼石製の鴟尾(しび)のレプリカ
▼山王廃寺イメージ
▼古地図資料
▼伝承芸能~太太神楽
▼獅子舞
▼百万遍念仏
▼太太神楽
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社公民館の駐車場でバスを降りると、見える範囲に二つのこんもりした小山が。
これが蛇穴山(じゃけつやま)古墳。
▼そしてこちらが、宝塔山(ほうとうざん)古墳。
先に総社資料館で昼食をとって、そのあとで蛇穴山古墳と宝塔山古墳も見学しますが、すばらしい石室にびっくり仰天でした。
▼用水沿いの道を進んで用水を渡ると総社(そうじゃ)資料館。
▼入り口に素敵な絵地図がありました。
▼資料館は本間酒店の酒蔵を利用して整備した施設です。
▼松尾芭蕉の歌碑。今日ばかり人も年寄れ初時雨
▼左が西倉、右が北蔵。
▼西倉には総社地区の古い民具が展示されています。
▼北蔵。立派な酒蔵です。
▼その東側にも立派な母屋が。
▼雨がすっかりあがったので、外でお弁当です。
▼北蔵の内部を見学します。
▼すごい梁です。
▼二階もあります。
▼昔ながらの酒造りの工程を書いた絵が展示されていました。
▼正面の大きな展示物は
▼地形がわかる立体地図です。これはすごい!
▼上野国府の市想像図
▼地図の展示物
▼市内の古墳についての展示物
▼これから見学する宝塔山古墳の石棺のレプリカが展示してありました。レプリカで見るとあんまりピンときませんが、現地で見ると・・・。
▼埴輪のレプリカ
▼刀剣
▼石製の鴟尾(しび)のレプリカ
▼山王廃寺イメージ
▼古地図資料
▼伝承芸能~太太神楽
▼獅子舞
▼百万遍念仏
▼太太神楽
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~2.山王廃寺跡 [インフォメ-ション&レポート]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
上野(かみつけ)国分僧寺を後にして、その真東に位置する尼寺跡がこのあたりだと車中から確認。
畑しかありません。
バスは少し北へ向かい、山王廃寺跡近くに到着。
文化遺産オンラインの地図をご参照ください:
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216019
前橋市教育委員会のパンフレットより
-------
国指定史跡・山王廃寺跡は住宅地の中にあります。
住宅地といっても、周辺は古くからの養蚕農家の大きなお屋敷がたちならび、これまたりっぱな防風林が続いています。
▼バスを降りると、道路沿いにこんな木造建物が。窓から妖怪?みたいなものがのぞいています。思わずパチリ。
▼地元の偉人・都丸高親翁の碑
▼立派な養蚕農家のお屋敷が続いています。表札はどれもぜんぶ「都丸」。「みやこまる」と読むのだそうです。
▼養蚕農家の防風林。家ごとにさまざまな形の防風林が続き、独特の景観を形成しています。
▼大谷石の風情のある建物がありました。左側に「阿久津石材店」の看板があり、右側の大谷石の建物はたばこやさん。
▼その向かい側が日枝(山王)神社。とても狭い神社ですが、この境内に「山王廃寺」の塔心礎があります。
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡。
その五重塔の礎石が日枝神社の境内から発見されたのが大正時代のはじめ。
神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれているけtれど、寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではなく、本当の名前は出土物などから「放光寺」だったそうです。
六角形の覆いの中をのぞくと・・
▼これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴があります。非常に精巧な加工で、古代のこの地が高度な石加工文化をもっていたことがうかがい知れます。
それは、このあとに見学した古墳群を見た時に実感しました。
▼こちらには、出土した根巻石と石製鴟尾(しび)が展示されています。
▼根巻石
▼石製鴟尾
▼日枝神社の社殿
▼日枝神社の縁起
▼山王廃寺の伽藍図の看板がありましたが、これは内容が古いそうで・・・。
▼最近の発掘調査で確認された最新のもの。
山王廃寺の伽藍配置は、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたもの。奈良斑鳩の法隆寺式の左右が逆になった配置で、斑鳩の法起寺と同じ。年代的には、七世紀の後半だそう。
全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代、東日本最大の本格的寺院がここ前橋にあったのです。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
上野(かみつけ)国分僧寺を後にして、その真東に位置する尼寺跡がこのあたりだと車中から確認。
畑しかありません。
バスは少し北へ向かい、山王廃寺跡近くに到着。
文化遺産オンラインの地図をご参照ください:
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216019
前橋市教育委員会のパンフレットより
-------
国指定史跡・山王廃寺跡は住宅地の中にあります。
住宅地といっても、周辺は古くからの養蚕農家の大きなお屋敷がたちならび、これまたりっぱな防風林が続いています。
▼バスを降りると、道路沿いにこんな木造建物が。窓から妖怪?みたいなものがのぞいています。思わずパチリ。
▼地元の偉人・都丸高親翁の碑
▼立派な養蚕農家のお屋敷が続いています。表札はどれもぜんぶ「都丸」。「みやこまる」と読むのだそうです。
▼養蚕農家の防風林。家ごとにさまざまな形の防風林が続き、独特の景観を形成しています。
▼大谷石の風情のある建物がありました。左側に「阿久津石材店」の看板があり、右側の大谷石の建物はたばこやさん。
▼その向かい側が日枝(山王)神社。とても狭い神社ですが、この境内に「山王廃寺」の塔心礎があります。
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡。
その五重塔の礎石が日枝神社の境内から発見されたのが大正時代のはじめ。
神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれているけtれど、寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではなく、本当の名前は出土物などから「放光寺」だったそうです。
六角形の覆いの中をのぞくと・・
▼これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴があります。非常に精巧な加工で、古代のこの地が高度な石加工文化をもっていたことがうかがい知れます。
それは、このあとに見学した古墳群を見た時に実感しました。
▼こちらには、出土した根巻石と石製鴟尾(しび)が展示されています。
▼根巻石
▼石製鴟尾
▼日枝神社の社殿
▼日枝神社の縁起
▼山王廃寺の伽藍図の看板がありましたが、これは内容が古いそうで・・・。
▼最近の発掘調査で確認された最新のもの。
山王廃寺の伽藍配置は、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたもの。奈良斑鳩の法隆寺式の左右が逆になった配置で、斑鳩の法起寺と同じ。年代的には、七世紀の後半だそう。
全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代、東日本最大の本格的寺院がここ前橋にあったのです。
<名水の会バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~1.上野国分寺跡 [インフォメ-ション&レポート]
私が所属している「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の「諸国国分寺めぐり」第四弾に参加しました。
これまで行ったのは、下総国分寺、下野国分寺、上総国分寺。
2010年6月 第1回 下総国分寺と古代の市川を歩く
同行・解説 山路直充さん(市川市立考古博物館学芸員、明治大学兼任講師)
2010年12月 第2回 下野国分寺・国庁跡と古代の下野を歩く
同行・解説 酒寄雅志さん(国学院栃木短大教授、栃木県文化財審議会委員)
2011年11月 第3回 上総国分寺・国府跡と上総の古墳を歩く
同行・解説 田所真さん(市原市埋蔵文化財調査センター所長)
今回はいよいよ、古代の関東の中心地へ。
上野国分寺・国府跡と古代のかみつけの里を歩く
同行・解説 高井佳弘さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団主任調査研究員)
台風が近づいており、天気予報は雨。
予報どおり、朝8時10分国分寺駅前出発時には雨・・・。
バスは中央道から圏央道を経て関越自動車道を北上。
次第に雲が切れてきて、10時半に前橋に着いたころには、時々、小雨がパラツク程度。
ラッキ-でした。
前橋市には国分寺、国府跡の他、県内最古の古代寺院とされる山王廃寺跡や、見事な石造建築による石室をもつことで全国に知られる宝塔山古墳、蛇穴山古墳のある総社古墳群などがあります。これら古代かみつけの里を、国分寺の瓦や古代寺院の研究で知られる高井先生が同行、解説をして下さいました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館→②尼寺跡(車中から場所のみ確認)→③山王廃寺跡→④総社資料館(昼食)→⑤宝塔山古墳(石室見学)→⑥蛇穴山古墳(石室見学)→⑦かみつけの里博物館と八幡塚古墳
写真は300枚ほど撮りましたので、場所ごとに分けてレポ-トいたします。
まずは「上野(かみつけ)国分寺跡」
▼上野国分寺跡南側駐車場から、北へまっすぐに参道がのび、南大門、中門、金堂、講堂など伽藍の中軸線につながります。
▼上野国分寺跡の解説看板
▼上野国分寺跡と周辺遺跡地図
▼上野国分寺の伽藍
▼染谷川にかかる国分寺橋
▼染谷川の北側にも用水路があり、その北岸は急な崖になっています。
▼橋を渡って振り返ると、「国分寺橋」の名は、「こくぶんじばし」ではなく「こくぶのてらはし」となっていました。
▼台地側の崖のきわにも用水。
▼参道がまっすぐ南大門に続いています。
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)建物のすぐ南側は急な崖になっています。
▼ガイダンス施設の中で、まずは高井佳弘先生のお話と、前橋市が作った解説ビデオ。
▼ガイダンス施設展示物見学
▼七重塔模型
▼上野国分僧寺伽藍模型
▼地形のわかる大地図
▼七重塔図面(推定)
▼ガイダンス施設展示物
▼南大門へ向かいます。
▼築垣の切れ目が南大門跡(筑垣は復元)
▼築垣の説明をする高井先生
▼築垣の素晴らしい版築
▼築垣は南西の角が変形になっています。理由は不明とのこと。
▼築垣の内側から見た南西部の変形
▼七重塔跡を左手に見ながら
▼金堂跡へ向かいます。
▼金堂基壇
▼金堂基壇、中央ピンクの傘をさした人が立っているあたりが金堂の中心であり、伽藍の中心でもある。
▼金堂の礎石
▼七重塔の基壇
▼七重塔解説看板
▼七重塔礎石
▼七重塔心礎
▼北西方向に榛名山が見えます。
▼雲に隠れていますが、北東方向に見えるはずの赤城山の方向を指し示す高井先生。
写真はfacebookでも見られます。
(facebookに登録していない方も見られます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.202156059907945.40489.100003406584816&type=3&l=19d5288dbc
これまで行ったのは、下総国分寺、下野国分寺、上総国分寺。
2010年6月 第1回 下総国分寺と古代の市川を歩く
同行・解説 山路直充さん(市川市立考古博物館学芸員、明治大学兼任講師)
2010年12月 第2回 下野国分寺・国庁跡と古代の下野を歩く
同行・解説 酒寄雅志さん(国学院栃木短大教授、栃木県文化財審議会委員)
2011年11月 第3回 上総国分寺・国府跡と上総の古墳を歩く
同行・解説 田所真さん(市原市埋蔵文化財調査センター所長)
今回はいよいよ、古代の関東の中心地へ。
上野国分寺・国府跡と古代のかみつけの里を歩く
同行・解説 高井佳弘さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団主任調査研究員)
台風が近づいており、天気予報は雨。
予報どおり、朝8時10分国分寺駅前出発時には雨・・・。
バスは中央道から圏央道を経て関越自動車道を北上。
次第に雲が切れてきて、10時半に前橋に着いたころには、時々、小雨がパラツク程度。
ラッキ-でした。
前橋市には国分寺、国府跡の他、県内最古の古代寺院とされる山王廃寺跡や、見事な石造建築による石室をもつことで全国に知られる宝塔山古墳、蛇穴山古墳のある総社古墳群などがあります。これら古代かみつけの里を、国分寺の瓦や古代寺院の研究で知られる高井先生が同行、解説をして下さいました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館→②尼寺跡(車中から場所のみ確認)→③山王廃寺跡→④総社資料館(昼食)→⑤宝塔山古墳(石室見学)→⑥蛇穴山古墳(石室見学)→⑦かみつけの里博物館と八幡塚古墳
写真は300枚ほど撮りましたので、場所ごとに分けてレポ-トいたします。
まずは「上野(かみつけ)国分寺跡」
▼上野国分寺跡南側駐車場から、北へまっすぐに参道がのび、南大門、中門、金堂、講堂など伽藍の中軸線につながります。
▼上野国分寺跡の解説看板
▼上野国分寺跡と周辺遺跡地図
▼上野国分寺の伽藍
▼染谷川にかかる国分寺橋
▼染谷川の北側にも用水路があり、その北岸は急な崖になっています。
▼橋を渡って振り返ると、「国分寺橋」の名は、「こくぶんじばし」ではなく「こくぶのてらはし」となっていました。
▼台地側の崖のきわにも用水。
▼参道がまっすぐ南大門に続いています。
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)建物のすぐ南側は急な崖になっています。
▼ガイダンス施設の中で、まずは高井佳弘先生のお話と、前橋市が作った解説ビデオ。
▼ガイダンス施設展示物見学
▼七重塔模型
▼上野国分僧寺伽藍模型
▼地形のわかる大地図
▼七重塔図面(推定)
▼ガイダンス施設展示物
▼南大門へ向かいます。
▼築垣の切れ目が南大門跡(筑垣は復元)
▼築垣の説明をする高井先生
▼築垣の素晴らしい版築
▼築垣は南西の角が変形になっています。理由は不明とのこと。
▼築垣の内側から見た南西部の変形
▼七重塔跡を左手に見ながら
▼金堂跡へ向かいます。
▼金堂基壇
▼金堂基壇、中央ピンクの傘をさした人が立っているあたりが金堂の中心であり、伽藍の中心でもある。
▼金堂の礎石
▼七重塔の基壇
▼七重塔解説看板
▼七重塔礎石
▼七重塔心礎
▼北西方向に榛名山が見えます。
▼雲に隠れていますが、北東方向に見えるはずの赤城山の方向を指し示す高井先生。
写真はfacebookでも見られます。
(facebookに登録していない方も見られます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.202156059907945.40489.100003406584816&type=3&l=19d5288dbc
書籍紹介『外濠 -江戸東京の水回廊- 』法政大学エコ地域デザイン研究所編、鹿島出版会 [[特集]水都・江戸の風景]
『外濠 -江戸東京の水回廊- 』法政大学エコ地域デザイン研究所編、鹿島出版会、2012年4月刊行
陣内秀信氏が所長を務める法政大学エコ地域デザイン研究所が、2012年4月に東京の外濠に関する本を刊行しました。江戸の防御システムとして形成された外濠がもつ、東京の“風景の骨格”として価値を問うフィールドワークの記録です。
http://jinnailab.ws.hosei.ac.jp/wp/?p=122
------------
畑中が所属する「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の会長・神谷博氏(建築家)は、法政大学のデザイン工学部の兼任講師であり、法政大学エコ地域デザイン研究所の研究員でもある。
水みち研究会の代表、東京都の側流域連絡会の座長などを歴任、東京の水系に詳しい。
この神谷会長も執筆している『外濠 -江戸東京の水回廊- 』がこの4月10日に発売となり、出来立てホヤホヤのご本について、名水の会でレクチャ-していただいた。
一昨日(5/11)のレクチャ-は、神谷さんが執筆した箇所中心だったが、これが実に興味深い。
江戸城の場所というのは、東京の多摩川水系、荒川水系、古利根川水系の合流点にあたり、江戸城のまわりをめぐる内濠・外濠がすべての水系を繋いだことにより江戸城が水系の中心となり、それは同時に軍事・水運の中心であることを意味する。
外濠開削後、玉川上水が開削された。江戸の飲み水が供給されただけではなく、武蔵野台地の分水嶺上に開削された玉川上水から、北へ南へと多数の分水路が作られたことにより、武蔵野台地の田畑の開発が爆発的に進み、江戸への食料供給能力が拡大。
こうしたことはよく知られているが、玉川上水の開削によって、外濠のもっとも標高が高く水源の得にくい四谷付近の台地上に玉川上水が到達し、外濠を満たす水の供給源となったことによる軍事的価値にも着目している。
さっそく本を購入し、今、読みはじめたところです。
大変興味深い本なので、とりいそぎご紹介です。
陣内秀信氏が所長を務める法政大学エコ地域デザイン研究所が、2012年4月に東京の外濠に関する本を刊行しました。江戸の防御システムとして形成された外濠がもつ、東京の“風景の骨格”として価値を問うフィールドワークの記録です。
http://jinnailab.ws.hosei.ac.jp/wp/?p=122
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畑中が所属する「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の会長・神谷博氏(建築家)は、法政大学のデザイン工学部の兼任講師であり、法政大学エコ地域デザイン研究所の研究員でもある。
水みち研究会の代表、東京都の側流域連絡会の座長などを歴任、東京の水系に詳しい。
この神谷会長も執筆している『外濠 -江戸東京の水回廊- 』がこの4月10日に発売となり、出来立てホヤホヤのご本について、名水の会でレクチャ-していただいた。
一昨日(5/11)のレクチャ-は、神谷さんが執筆した箇所中心だったが、これが実に興味深い。
江戸城の場所というのは、東京の多摩川水系、荒川水系、古利根川水系の合流点にあたり、江戸城のまわりをめぐる内濠・外濠がすべての水系を繋いだことにより江戸城が水系の中心となり、それは同時に軍事・水運の中心であることを意味する。
外濠開削後、玉川上水が開削された。江戸の飲み水が供給されただけではなく、武蔵野台地の分水嶺上に開削された玉川上水から、北へ南へと多数の分水路が作られたことにより、武蔵野台地の田畑の開発が爆発的に進み、江戸への食料供給能力が拡大。
こうしたことはよく知られているが、玉川上水の開削によって、外濠のもっとも標高が高く水源の得にくい四谷付近の台地上に玉川上水が到達し、外濠を満たす水の供給源となったことによる軍事的価値にも着目している。
さっそく本を購入し、今、読みはじめたところです。
大変興味深い本なので、とりいそぎご紹介です。
講演会「江戸城の歴史と常盤橋門~史跡の保存と活用~」 [インフォメ-ション&レポート]
名水の会会員からの情報です。
名水の会でも、今、江戸城外堀に注目しています。
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江戸城の歴史と常盤橋門~史跡の保存と活用~
江戸城は、外郭を周囲約14km にわたる堀で囲まれた巨城であった。
今も常盤橋門跡や江戸城外堀跡にその痕跡が認められる。
現在行われている常盤橋門の石垣修理などで解明された城の歴史を辿
りながら、現代に残る文化財の保存と活用を考える。
日 時:5月14日(月)18:30~20:00 ※受付:18:00~
講演者: 後藤宏樹(日比谷図書文化館 学芸員)
場 所:162ビル 6階会議室 (東京都中央区日本橋室町1-6-2)
定 員:80名※申込先着順となります。
参加費:無料
問い合わせ:常盤橋フォーラム事務局
[NPO 法人大丸有エリアマネジメント協会]
(電話:03-3287-5386 ※平日9:30~17:30)
【申込方法】
E-mail:info-omy@vesta.dti.ne.jp または FAX:03-3287-5840 宛
に、講座名、お名前(ふりがな)、TEL、E-mail(携帯メール不可)
をお書き添えの上、ご応募下さい。
※電話での受付は行っておりません。ご了承下さい。
申込締切:5月11日(金)
※ただし、締切日前でも申込定員に達し次第、申込締切とさせていた
だきます。
→ http://blog.goo.ne.jp/chiyovl10/e/d7232d6876de508f92b0bb075839871b
名水の会でも、今、江戸城外堀に注目しています。
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江戸城の歴史と常盤橋門~史跡の保存と活用~
江戸城は、外郭を周囲約14km にわたる堀で囲まれた巨城であった。
今も常盤橋門跡や江戸城外堀跡にその痕跡が認められる。
現在行われている常盤橋門の石垣修理などで解明された城の歴史を辿
りながら、現代に残る文化財の保存と活用を考える。
日 時:5月14日(月)18:30~20:00 ※受付:18:00~
講演者: 後藤宏樹(日比谷図書文化館 学芸員)
場 所:162ビル 6階会議室 (東京都中央区日本橋室町1-6-2)
定 員:80名※申込先着順となります。
参加費:無料
問い合わせ:常盤橋フォーラム事務局
[NPO 法人大丸有エリアマネジメント協会]
(電話:03-3287-5386 ※平日9:30~17:30)
【申込方法】
E-mail:info-omy@vesta.dti.ne.jp または FAX:03-3287-5840 宛
に、講座名、お名前(ふりがな)、TEL、E-mail(携帯メール不可)
をお書き添えの上、ご応募下さい。
※電話での受付は行っておりません。ご了承下さい。
申込締切:5月11日(金)
※ただし、締切日前でも申込定員に達し次第、申込締切とさせていた
だきます。
→ http://blog.goo.ne.jp/chiyovl10/e/d7232d6876de508f92b0bb075839871b