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1.義父が撮った戦前の松島(2011.5.19) [蘇る風景・写真のチカラ~三陸・東北写真館]

1915年(大正4年)3月生まれの亡き義父が、戦前の松島の写真をたくさん残していました。
撮影年月日は記載がありませんが、アルバムに残された他の写真との前後関係から、昭和15年(1940年)ごろ、あるいはもう2~3年前の撮影かもしれません。もしかすると、義父は時期をずらして2度、松島に行っているかもしれません。

このたびの震災と津波では、松島の被害は他の沿岸部と比べると小さかったとのことですが、それでもかなりの被害があり、島の形も一部、変わったと聞きます。
戦前から松島はすでに観光地でありましたが、写真にはたくさんの「帆掛け舟」が写っており、観光船でもあり、釣り船でもあったようです。松島の原風景を見るようです。

義父のアルバムには、島の名前も記載がありませんが、ネットで調べて大部分は特定できましたが、わからないものもあります。
わかる方がいらしたら、コメント欄にてお教えくだされば幸いです。

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遺品整理でこの写真を発見した当初は、父が撮影したものと思っていましたが、よくよく見ると、写真を趣味とする素人の写真にしてはあまりにも上手すぎます。誰かプロの手による撮影ではないかと思っていたところ、東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブスの中に、同じ図柄の松島の“絵葉書”が多数あることが判明。(下記サイトを開き、「松島」で検索)

東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス:
http://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/
東北芸術工科大学東北文化研究センターのHP:
http://blog.tuad.ac.jp/tobunken/

父の撮影ではないことがわかりましたが、今は地元にも残っていないらしい写真を、父は70年間も大事に保存していました。昔の非常にサイズの小さな写真ですが、極めて完成度の高い写真を余程気に入っていたのでしょう。

撮影者が誰であれ、今ではもう見ることもなくなった帆掛け舟が浮かぶ、松島の原風景を記録した貴重な写真ですので、このまま掲載いたします。
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<松島湾マップのサイト>
松島湾遊覧コ-ス:http://www.matsushimawan.co.jp/course/map.html
松島観光マップ:http://www.net-miyagi.com/matsushima/sight/map.html

松島島巡り観光船企業組合:http://www.matsushima.or.jp/index_2.html
「体験島巡り」をクリック:島の場所をクリックすると説明と写真が表示されます


01灯台のある島 地蔵島(本土側・多門山からか).jpg
▲灯台のある島は「地蔵島」です。本土側の多門山から撮影したようです。島の手前に小舟が見えます。

02地蔵島アップ.jpg
▲上の写真と同じ「地蔵島」がアップで写っていますが、撮影地点が異なるようです。
島の周りに、たくさんの帆掛け舟や小舟が見えます。

03双子島(本土側高台から).jpg
▲「双子島」、画面の手前に松が写っているので、本土側の高台から撮影したのでしょうか。

04本土側高台から五大堂を望む.jpg
▲「五大堂」の屋根。これも随分と高い場所から撮影したようです。

05福浦橋(本土側から福浦島を望む).jpg
▲「福浦橋」 本土側から福浦島を望むアングルのようです。昭和8年(1933年)にこの木橋が架けられるまでは、舟で渡っていたそうです。義父がここに行ったのは、橋ができてからまだ数年後です。もしかすると、この橋を見ること(渡ること?)が旅の目的のひとつだったかもしれません。
橋を渡る人々の姿が写っています。橋の下を小舟が一艘、くぐっています。

06福浦橋(福浦島から本土側からを望む).jpg
▲「福浦橋」 福浦島から本土側を望むアングルのようです。対岸(本土側)には、旅館でしょうか、たくさんの木造建物が立ち並んでいるのが見えます。
ちなみに、現在の福浦橋は鮮やかな朱に塗られた橋で、昭和42年(1967年)に完成した二代目の橋。全長252m。幅2.6m。このたびの大震災では、橋脚が曲がるなどの被害が出たそうです。
同様のアングルの現在の橋:http://keiryu-hamachan.seesaa.net/upload/detail/image/CIMG1145.JPG.html
現在の福浦橋のたもと付近はコンクリートの護岸になっていますが、義父の写真は松林の陰から、しかもかなり高い場所から撮ったようです。

07高所から.jpg
随分、高い場所から撮影したように見えますが、どこから撮影しているのか、写っているのが何島なのかわかりません。

08海上から-1.jpg
これも、島の名前が不明です。近づいて行く船には3人ほど、人が乗っています。観光船でしょうか。

09海上から-2 仁王島.jpg
「仁王島」 今よりも岩が幾分鋭いような感じがします。こういう岩に帆掛け舟で近づいて行ったら、迫力あるでしょうね。現在では味わうことのできない、贅沢な体験です。義父の写真は舟の上から撮ったもののようですが、帆掛け舟に乗っていたのでしょうか。

10海上から-3.jpg
島の一部がトンネル状になっている「材木島」。トンネルの上部は昭和44年に崩れ、別々の島になったそうです。周囲に帆掛け舟や小舟が見えます。

11海上から-4.jpg
これも「材木島」。屋形船が見えます。

12海上から-5.jpg
「かぶと島」と帆掛け舟。帆掛け舟には一人しか乗っていないようで、釣りをしているのでしょうか。
私、この写真が一番、気に入っています。すばらしいでしょ?
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オカジュン765

こんばんわ。まいど訪問おおきにです。
松島は高校の修学旅行で行ったのですが、あまり記憶がないんです。日本三大景観の一つですから早い復興を望みます。
イチゴ私も期待はしているのですが、去年は失敗しているので今回は一粒でいいから食べてみたいです。
by オカジュン765 (2011-05-19 20:03) 

TANIGUCHI

最後の写真は私も素敵だと思います。
by TANIGUCHI (2011-05-19 20:55) 

Julia

帆掛け舟、超・カッコいい♪

アングルが、とってもいい写真ばかりですね。
お義父さまのセンスが覗える写真ばかりです。
by Julia (2011-05-19 22:36) 

あびまま

お水番さん、こんばんは^^
あしあと&コメント、ありがとうございます。

一昨年に松島を訪れました。
時間の関係で観光フェリーには乗れませんでしたが
展望所(?)からの眺めはそれはそれは素敵でした。
瑞巌寺にもお参りし、お土産を買いこんで帰路へ。。。。
ぜひまた訪ねてみたいと思います。

「かぶと島」と帆掛け船、、、すご~~くイイですね。
島が風に押されて動き出しそうな感じ♪

by あびまま (2011-05-19 23:00) 

erucat

お水番さん こんばんは^^

非常に素晴らしいです キッパリ!
松島の絶景が見事に撮られていますね
この時代にカメラお持ちだったとは
かなり裕福でいらっしゃったのでしょうね^^
資料的価値もある「お宝」ですね!

いらぬ世話ではありますが
写真本体はあまり外気に当てない方がよいでしょうね
年に1度虫干しされる程度だとまだまだ綺麗だと思います

目の保養になりました^^
お写真いつまでも大切に♪


by erucat (2011-05-19 23:34) 

ぱぱくま

お義父さまの写真ですね。
松島は津波の影響が少なかったとは聞きましたが、それでも被害はあまりある
ものでしょうね。ちょうど昨年の3月に石巻や松島へ仕事からみで行ってました。地震発生の予想は出来ても予知はまだまだ難しいのですね。

当時の風景、帆掛け舟が絵になりますね。貴重な写真をありがとうございました。
by ぱぱくま (2011-05-19 23:37) 

お水番

わあ、みなさん、ご感想をありがとうございます。
天国のお父さん、ニンマリしていると思います。

オカジュンさん、私も子どものころ、何度か松島に行ったのですが、島がいっぱいあったことしか覚えていないんです。

TANIGUCHIさん、ありがとうございます。最後の写真を最初に目にした時は、思わず、お~~と唸りました。

Juliaさん、帆掛け舟って、ほんとにカッコいいですね。昔の風景って、今よりずっと贅沢ですよね。

あびままさん、「かぶと島」が帆掛け舟みたいで、島と船が競争しているみたいですよね。

erucatさん、裕福ではなかったと思いますが、90歳過ぎても水墨画を書いていましたから、風景を切り取るモノクロ世界が若いころから好きだったのでしょう。父が使っていたカメラは、何年か前、次男の嫁のワタクシがもらっちゃいました。
写真の手入れ方法、ありがとうございます。

ぱぱくまさん、まさに絵になりますね。父の水墨画の中に、三陸の波濤の絵があるのですが、きっと、こういう風景を見たことがベースになっているのだと思います。

by お水番 (2011-05-20 01:41) 

リン

素敵な写真たちです。
この風景は被災された方々の心にも響く写真ではないでしょうか?
by リン (2011-05-20 07:10) 

オカジュン765

おはようございます。度々の訪問おおきにです。
子供の遊び、小さいころは何の疑問も持たずにやっていましたが、その土地と地によっていろいろあるんですね。非常に興味深いことです。
by オカジュン765 (2011-05-20 08:11) 

お水番

リンさん、途切れた記憶をつなぎ直す力が写真にはあるように思います。
by お水番 (2011-05-20 08:57) 

お水番

オカジュンさん、子どもは遊びを環境に順化させてしまうからすごいですね。
冬は雪と氷に閉ざされる東北地方のムカシの子どもは、家にじっとしていたわけではなく、みんな下駄スキーですよ。下駄をつっかけるみたいにスキーをつっかけるなんて凄いですね。夫は、アイスバーンの坂道を自転車で学校に通っていたそうです。おそるべき順応力です。
by お水番 (2011-05-20 09:06) 

rtfk

すばらしい写真の数々です。
その価値をちゃんと分かって
大事にされる方がいらっしゃって
お義父様もお喜びだと思います^^)
by rtfk (2011-05-20 14:27) 

お水番

rtfkさん、ありがとうございます。
私も宝物を見つけたような気持ちです。

by お水番 (2011-05-20 21:20) 

マロ7

今晩はー、はじめまして、松島の南端に位置します七ヶ浜からの投稿です。
本日、「勘助地蔵」の歴史を探していました。
「勘助地蔵」は、一枚目の写真にある地蔵島の左端に鎮座していました。
今回の大津波で、台座ごと流出し行方不明となっています。
最近になって、勘助地蔵の関係者が再興を口だすようになりまして、いつ頃できたかと…検証になってしまいましたがチンプンカンプンです。
地蔵島灯台は大正の時代にできたようですが、戦前とか戦後とか意見は分かれ建立時期は未だ不明です。そこで、探しましたところ貴ブログに辿りつきました。
本画像は、昭和15年頃とすれば、2枚目の画像の帆の先端右側にはお地蔵さんが何となく見えますね。ということは、これ以前の建立と確信いたしました。
今や、観光船のアナウンスはこのお地蔵さんが大津波から松島を守ったと放送しています。
貴重な画像を拝見できて光栄です。
もっと、貴重な画像があるようですが心はウキウキです。
夜分、失礼いたしました。
宮城・マロ7
by マロ7 (2011-09-30 20:41) 

お水番

マロ7さん、はじめまして。ようこそお越しくださいました。
七ヶ浜からの貴重な情報をありがとうございます。
このたびの津波災害、心からお見舞い申し上げます。

私は松島には子どものころに行ったことがあるだけで、島の名前も義父の写真を見て調べたのですが、「勘助地蔵」の島だから「地蔵島」なんですね。
津波で流出してしまったとのこと、本当に残念ですね。
お地蔵さんの歴史がいろいろと判明して、再建されるといいですね。

義父は昭和10年代から写真を撮っていたようで、アルバムに貼ってある写真の前後から、戦前の写真であることは間違いないようです。おそらくは昭和15年前後。
ただ、ブログには義父の撮影と書きましたが、その後、この写真をずっと眺めているうちに、写真があまりにも上手すぎて、これはプロの撮影かもしれないと思いはじめました。
昔の観光地は、絵葉書ではなく、生写真の風景写真をみやげ物として売っていたということがあったのかもしれません。

今となっては義父に確かめようがありませんが、義父のアルバムの写真が、松島の復興のお役に立てたのなら、こんなにうれしいことはありません。




by お水番 (2011-10-03 21:53) 

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